デモ充という弊害
左翼運動がデモの中で新たな広がりを見せているが、それは実際には社会から遊離していく。 そうした矛盾した在り方に批判を加え、改めて国民に運動をどう根づかせていくかという課題として提示する。
著者の言うことは全くもっともであるが、ただ結局批判のためにする批判になっているという謗りは免れまい。 むしろこうしたデモ運動の広がりを国民運動に昇華できないデモ支持者やデモ支持政党の不甲斐なさがあるのであり、それが運動のパワーを袋小路に誘ってしまう構造がある。
デモ運動が必ずしも国民の政治行動や投票行動に直結しないのは、メディアを巻き込んでいく方向に持っていくことができていない点が一番大きいだろう。